2023-04-29

【呼びかけ人一覧】188名


 敬称略・あいうえお順


1 浅井基文 (元広島平和研究所所長)

2 朝倉真知子

3 安里英子 (沖縄恨之碑の会共同代表)

4 天笠啓祐 (ジャーナリスト)

5 天野秀明 (関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会)

6 新井勝紘 (元高麗博物館館長)

7 蟻塚亮二 (精神科医)

8 池田恵理子 (WAM・元NHKデイレクター)

9 池田香代子 (翻訳家)

10 石川逸子 (詩人)

11 石田正人 (「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会事務局)

12 石田米子 (山西省・あきらかにする会)

13 井関要 (大阪城狛犬会・共同代表)

14 伊藤彰信 (日中労働者交流協会会長)

15 伊藤真 (伊藤塾塾長、弁護士)

16 稲垣絹代 (南京・沖縄をむすぶ会共同代表・名桜大学名誉教授)

17 井上久士 (日本中国友好協会会長)

18 井上洋子 (長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会共同代表)

19 井上理恵 (演劇学者)

20 今本陽子 (関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会)

21 植草一秀 (政治経済学者)

22 上杉聰 (美作騒擾なにわ研究会顧問)

23 植野妙実子 (中央大学名誉教授)

24 魚住公成 (介護福祉士)

25 魚住優子 (介護福祉士)

26 内岡貞雄 (朝鮮学校を支援する山口県ネットワーク代表)

27 内田雅敏 (弁護士)

28 宇都宮健児 (弁護士)

29 内海愛子 (恵泉女学園大学名誉教授)

30 浦田賢治 (早稲田大学名誉教授)

31 大門高子 (再生の大地合唱団副団長)

32 太田光征 (松戸市民)

33 大槻義彦 (早稲田大学名誉教授)

34 大町英三 (元小学校教員)

35 大山小市 (研究者)

36 おかだだい (「慰安婦」問題を考える会・神戸)

37 岡本厚 (元「世界」編集長)

38 岡山文人 (翻訳家)

39 小川利靖 (村山談話の会理事)

40 小田美智子 (百年実行委員会(当会))

41 呉充功 (映画監督)

42 小野文珖 (日蓮宗教師、宗教者九条の和)

43 海渡雄一 (弁護士)

44 郭秀鎬 (韓統連顧問)

45 笠原十九司 (都留文科大学名誉教授)

46 片山美乃 (関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会)

47 加藤弘吉 (百年実行委員会(当会))

48 加藤直樹 (ノンフィクション作家)

49 金平茂紀 (ジャーナリスト)

50 冠木克彦 (日本戦没学生記念会)

51 鎌倉孝夫 (埼玉大学名誉教授)

52 鎌田慧 (ルポライター)

53 軽部哲雄 (差別・排外主義に反対する連絡会)

54 川見一仁 (関東大震災中国人受難者を追悼する会)

55 川村晃生 (慶応義塾大学名誉教授)

56 神田香織 (講談師.NPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」)

57 北村小夜 (教育者)

58 木野村間一郎 (関東大震災中国人受難者を追悼する会)

59 金秀煥 (一般財団法人ウトロ民間基金財団理事)

60 金性済 (日本キリスト教協議会総幹事)

61 木村朗 (ISF独立言論フォーラム編集長)

62 金野正晴 (SCATセミナールーム)

63 くじゅうのりこ (平和といのち・イグナチオ九条の会)

64 久保井規夫 (アジア民衆歴史センター主宰)

65 黒田薫 (南京大虐殺60カ年・大阪実行委員会)

66 黒田伊彦 (元関西大学教員)

67 鍬野保雄 (日本とコリアを結ぶ会・下関 代表)

68 玄香実 (ASUKAの会)

69 高 秀美 (三一書房編集部)

70 高二三 (新幹社)

71 纐纈厚 (山口大学名誉教授・植民地文化学会代表理事)

72 古賀茂明 (古賀茂明政策ラボ代表)

73 古今亭菊千代 (落語家 真打)

74 児玉勇二 (弁護士)

75 後藤周 (研究者)

76 近藤光男 (都教委を訴える会)

77 近藤ゆり子 (9条の会・おおがき世話人)

78 近正美 (地理教育研究会会員)

79 在間秀和 (弁護士)

80 佐伯隆 (関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会)

81 酒井仁子 (難民を支援し連帯する会事務局)

82 酒井雅己 (『ひらく』編集部)

83 坂内宗男 (キリスト者政治連盟委員長)

84 佐高信 (評論家)

85 佐藤寿子 (日韓合同授業研究会)

86 澤田洋 (元高校教師)

87 清水雅彦 (日本体育大学教授(憲法学))

88 徐翠珍

89 白崎朝子 (介護福祉士・ライター)

90 辛淑玉 (のりこえねっと共同代表)

91 愼蒼宇 (法政大学教員)

92 進藤榮一 (国際アジア共同体学会会長)

93 慎民子 (一般社団法人ほうせんか理事)

94 杉浦ひとみ (弁護士)

95 杉本健司 (東京海外旅行研究会代表)

96 辻子実 (平和の灯を!ヤスクニの闇にキャンドル行動共同代表)

97 鈴木敏夫 (子どもと教科書全国ネット21事務局長)

98 鈴木裕子 (女性史研究者)

99 関谷興仁 (陶芸家)

100 高嶋伸欣 (琉球大学名誉教授)

101 髙野孟 (インサイダー編集長)

102 武田隆雄 (日本山妙法寺僧侶)

103 竹信三恵子 (ジャーナリスト)

104 龍野瑶子 (百年実行委員会(当会))

105 田中宏 (一橋大学名誉教授)

106 田中正敬 (専修大学教授)

107 田中優子 (法政大学名誉教授)

108 谷正人 (関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会)

109 崔江以子 (「ヘイトスピーチを許さない」川崎市民ネットワーク)

110 崔善愛 (ピアニスト)

111 趙 博 (芸人)

112 土屋のりこ (足立区議会議員)

113 寺尾光身 (名古屋工業大学名誉教授)

114 殿平善彦 (一乗寺住職)

115 外谷悦夫 (牧師)

116 鳥井一平 (NPO法人移住者と連帯する全国ネットワーク)

117 鳥越俊太郎 (ジャーナリスト)

118 中岡基明 (全労協前事務局長)

119 中川十郎 (名古屋市立大学特任教授)

120 中澤康治 (草津町議会議員)

121 長澤真史 (真宗高田派唯称寺住職/東京農業大学名誉教授)

122 永島昇 (日本戦没学生記念会事務局長)

123 中島光孝 (弁護士)

124 中村まさ子 (前江東区議会議員)

125 西崎雅夫 (関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会)

126 西中誠一郎 (フリージャーナリスト)

127 西端順子 (南京60カ年・大阪実行委員会)

128 丹羽雅雄 (弁護士)

129 根津公子 (「君が代」被処分・元教員)

130 野平晋作 (ピースボート共同代表)

131 鳩山友紀夫 (元内閣総理大臣)

132 羽場久美子 (青山学院大学名誉教授)

133 浜崎真実 (カトリック司祭)

134 林郁 (作家)

135 樋口浩造 (愛知県立大学教授)

136 土野信子

137 飛田雄一 (神戸学生青年センター理事長)

138 姫田光義 (中央大学名誉教授)

139 平井美津子 (子供と教科書大阪ネット21事務局長)

140 平野貞夫 (元参議院議員)

141 平野敏夫 (亀戸ひまわり診療所理事長)

142 福士恵子 (元都議会議員)

143 藤田高景 (村山首相談話を継承し発展させる会・理事長)

144 藤田直彦 (日韓合同授業研究会)

145 布施由女 (三多摩日朝女性のつどい)

146 星川一恵 (にいざジェンダー平等ネットワーク)

147 前川喜平 (現代教育行政研究会代表・元文部科学事務次官)

148 前田朗 (東京造形大学名誉教授)

149 前田哲男 (軍事ジャーナリスト)

150 町田忠昭 (中国人強制連行を考える会)

151 松岡節子 (公人のヘイトスピーチを許さない会共同代表)

152 松岡みどり (俳優・日本俳優連合理事)

153 松代修平 (村山首相談話の会)

154 松本保昭 (パレスチナ連帯・札幌)

155 間庭尚之 (江東区議会議員)

156 水野直樹 (京都大学名誉教授)

157 みつはしひさお (千葉県高等学校退職教員の会)

158 宮川泰彦 (日朝協会会長)

159 宮田仁 (関東大震災朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会)

160 村田光平 (元駐スイス特命全権大使)

161 墨面 (中国人強制連行 受難者聯誼会連合を支える会)

162 樅山さち子 (南京60カ年・大阪実行委員会)

163 森正孝 (戦争をさせない1000人委員会静岡県共同代表)

164 門間幸枝 (門間ゴスペルファミリー主宰)

165 安井三吉 (神戸大学名誉教授)

166 安田浩一 (ノンフィクションライター)

167 谷地田恒夫 (NPO花岡平和記念会副理事長)

168 矢野秀喜 (強制動員問題解決と過去清算のための共同行動)

169 山口たか (市民自治を創る会・代表)

170 山城博治 (ノーモア沖縄戦命どぅ宝の会・共同代表)

171 山田朗 (明治大学教授)

172 山田やす子 (関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会)

173 山田洋次 (映画監督)

174 山橋宏和 (大阪城狛犬会・共同代表)

175 山本すみ子 (関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会代表)

176 吉池俊子 (アジア・フォーラム横浜代表)

177 吉川博子 (日韓合同授業研究会)

178 由木榮司

179 善元幸夫 (日韓合同授業研究会)

180 劉勝徳 (岡山県華僑華人総会会長)

181 凌星光 (福井県立大学名誉教授)

182 林伯耀 (関東大震災中国人受難者を追悼する会・共同代表)

183 林和雄 (関東大震災中国人受難者を追悼する会)

184 渡辺健樹 (日韓民衆連帯全国ネットワーク)

185 渡辺真哉 (関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会会員)

186 渡辺多嘉子 (平和を実現するキリスト者ネット)

187 渡辺美奈 (アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam))

188 和田義之 (弁護士)


主 催
関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会実行委員会


2023-02-28

小池都知事発言に抗議

 
関東大震災虐殺100年にあたり
小池都知事の発言に抗議します


<抗議文>

関東大震災虐殺100年にあたり小池都知事の発言に抗議します

 わたしたちは、本年、2023年9月に関東大震災100年朝鮮人および中国人虐殺犠牲者の追悼と責任追及に取りかかっています。
 その最中の去る2月21日、東京都の定例都議会においてある議員による、関東大震災時の多数の朝鮮人虐殺に関する質問に、小池百合子都知事は、「何が明白な事実かについては、歴史家がひもとくものだ」と答弁したことがメディアによって報道されました。
 わたしたちは、小池都知事のこの答弁に対して、驚きと共に深い疑念を抱かずにおれません。今日に至るまで、関東大震災時の朝鮮人虐殺については、数多くの歴史研究者が実証的研究と幾多の証言の収集と分析によって虐殺の歴史事実をひもといてきたのです。さらに内閣府に属する中央防災会議による『災害訓練の継承に関する専門調査会報告書』(2008年3月)の第2編「1923 関東大震災」には、内務省、軍部、官憲、流言蜚語、そして自警団が大震災時における朝鮮人虐殺にどのようにかかわっていたか、詳細に報告しています(79-122、179-205、214-215頁)。小池都知事の答弁は、これらの歴史研究の成果と中央防災会議の報告に対する無知を意味するのでしょうか。
 1973年9月以来、東京都知事が毎年9月1日に追悼式典に送り続けてきた関東大震災朝鮮人虐殺に関する追悼文を、小池都知事は、知事に就任した翌年である2017年9月から今日に至るまで取り止めてきました。その経緯を振り返るならば、先の小池都知事の答弁は、無知からではなく、歴史研究の成果と中央防災会議報告に誠実に向き合おうとしない意図的な言動であることがわかります。
 そのことは、2017年8月25日に行われた定例記者会見での、記者の質問に対する小池都知事の答弁から明らかです。その記者会見で小池都知事は、その歴史を虐殺と見るかどうかは、「さまざまな歴史認識があろうかと思う」とそれぞれの歴史認識の違いの問題としてすり替えたのです。そして結局、「大きな災害、それに続く様々な事情で亡くなられた方」という表現によって終始「虐殺」という言葉を避けながら、災害犠牲者と虐殺犠牲者とを区別せず追悼する、という立場を表明したのです。
 小池都知事のこのような考え方から、去る2月21日の発言が出て来ていることを、わたしたちは見逃すことはできません。
 災害犠牲者の死と、虐殺犠牲者の死とを同等に扱いながら虐殺の歴史事実の認識から逃避し、その国家と行政の責任を不問に伏すという考え方とは、専制国家の暴君でもない限り、今日の世界において全く受け入れがたいものであり、東京都行政の最高責任者としても人間としても恥ずべき姿勢というほかありません。
 わたしたちは関東大震災虐殺100年を迎えるにあたり、小池都知事のこのような姿勢を断固糾弾し、抗議するものであります。

2023年3月1日 


 関東虐殺100周忌追悼事業推進委員会(*注:韓国の団体)
 関東大震災朝鮮人虐殺100周年犠牲者の追悼と責任追及行動実行委員会
 関東大震災朝鮮人・中国人虐殺 100 年犠牲者追悼大会実行委員会

2023-01-31

【呼びかけ文】日本語版/韓国・朝鮮語版/中国語/英語版



 〈日本語バージョン〉 

呼びかけ文
関東大震災における朝鮮人、中国人虐殺100年
日本社会はこの歴史に誠実に向き合い、国家の責任を問い、
再発を許さない共生社会への第一歩を

関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会実行委員会(準)

1923年9月1日、南関東一帯にマグニチュード7.9の関東大地震が発生し、首都圏で死者10万人、住居焼失者200万人を超える、日本の地震災害史上最大の被害をもたらしました。2日には、「戒厳令」が布告され、軍隊が出動しました。翌3日朝「朝鮮人は各地に放火し不逞の目的を遂行せんとし…鮮人(ママ)の行動に対して厳密なる取締を加えられたし」との電文が、内務省警保局長名で船橋海軍送信所から各地方長官宛に送られ、政府によるデマ拡散となりました。流言蜚語が広がり、軍隊・警察・官憲の主導、並びに自警団を中心とする民衆によって、多くの朝鮮人、中国人が虐殺されました。また、日本の社会主義者や労働運動の活動家や、朝鮮人、中国人と間違われて一部民衆も虐殺されました。

日本では、近い将来、関東大震災級の大地震の発生が予測され、総理の下に「中央防災会議」が設けられています。同会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」が、2008年3月にまとめた報告書には、次のようにあります。
「武器を持った多数者が、非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという、虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害に遭った。加害の形態は、官憲によるものから、官憲が保護している被害者を官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様である。…犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない」と指摘、「過去の反省と民族差別の解消の努力が必要なのは改めて確認しておく」と結んでいます。

日本は、それまでに朝鮮、中国にたびたび兵を送り、侵略と植民地支配を推し進め、現地で朝鮮民衆、中国民衆の強い抵抗に遭っていました。日本軍は抵抗する民衆を武力で弾圧しました。1919年3月1日にソウルから始まった朝鮮の三・一独立運動は瞬く間に朝鮮全土に広がり、日本は軍、警察、憲兵、武装した民間人までも動員して弾圧し、朝鮮人約7500人が犠牲となり、約1万5000人が負傷し、4万6000人余りが拘束されたといわれます。日本政府は、関東大震災で虐殺された人々の正確な数も調査しないまま、事件の隠蔽を計ってきました。朝鮮人犠牲者の調査は朝鮮人留学生が中心となって進められ、当初の「在日同胞被虐殺真相調査会」の名称は禁じられ、やむなく「在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班」として警察の遺体隠匿や焼却など多くの妨害の中で行われ、その結果を受けて、上海の大韓民国臨時政府・機関紙『独立新聞』(1923.12.5)は、犠牲者6661人と報じています。
臨時政府は、9月10日付けで、外務大臣チョ・ソアン(趙素昂)名で日本政府に抗議文を送り、①不法拘禁された韓人の釈放、②災害区域のすべての韓人の氏名・生死などの公表、③韓人を虐殺した者の厳重処罰、を要求しました。中国政府も日本政府に抗議するとともに、王正廷を団長とする調査団を派遣し、①加害者の処罰、②被害者への賠償、③中国人の身の安全を、要求しました。中国人犠牲者は、名簿に記録されているだけで750人以上とされます。朝鮮人・中国人虐殺は日本国内で起きた他民族大量虐殺(ジェノサイド)にほかなりません。

日本政府は、事件の隠蔽に走り、例えば、「読売新聞」の中国人殺傷事件に関する社説(23.11.7)は、削り取られて発行されました。中国人労働者の生活と権利のために「僑日共済会」を作っていた留学生王希天は、軍により密殺されました。1923年11月、外務省条約局第三課では、諸外国の11事例を調査のうえ、日本の国家責任は免れないとしました。清浦圭吾内閣は、24年5月27日、中国に「慰藉金20万円」の支出を決定しますが、結局、執行されていません。

戦後、在日朝鮮人を中心に、この虐殺事件について何度も問題提起され、その真相究明、責任の所在が問われましたが、日本社会がそれと向き合うことはありませんでした。2003年8月25日、日本弁護士連合会は、内閣総理大臣に対して、①朝鮮人・中国人虐殺事件の被害者、遺族に対して、国の責任を認めて謝罪すること、②虐殺事件の真相を調査し、その原因を明らかにすることを勧告しました。しかし回答はありません。1948年12月、国連総会は「世界人権宣言」を採択し、その後「人権の主流化」を目指し、1965年には、条約第一号として「人種差別撤廃条約」を採択しました。その前文には、「国際連合が植民地主義並びにこれに伴う隔離及び差別のあらゆる慣行を非難してきたこと…」とあります。2001年8-9月、国連主導で南アフリカで開催されたダーバン会議(「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連する不寛容に反対する世界会議」)では、アパルトヘイト、ジェノサイド等の悲劇の犠牲者への謝罪と尊厳の回復、及び補償の道義的義務が認められました。

2020年1月、神奈川県「川崎市ふれあい館」に、「在日韓国人をこの世から抹殺しよう、生き残りがいたら残酷に殺しに行こう」との「年賀はがき」が届きました。2021年7月から8月にかけて、韓国民団・愛知、名古屋韓国学校、京都府ウトロのコリアン集住地区の民家など在日コリアンに関係する施設・住居などへの連続放火事件が発生しています。差別的動機に基づく犯罪・ヘイトクライムが後を絶ちません。その一方で、国レベルの高校無償化からの朝鮮学校除外、自治体レベルでの補助金支給からの朝鮮学校除外などの「公的な差別」も継続しています。
国連・人種差別撤廃委員会は、日本審査後の「総括所見」(2018.9)で、「直接的及び間接的な人種差別を禁止する具体的で包括的な法律を採択するよう」勧告しましたが、日本政府はそれに応えようとはしていません。
「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」に、歴代の東京都知事は「追悼の辞」を送付してきましたが、「朝鮮人虐殺は濡れ衣で、日本人を辱めるもの」などと主張する都議の議会質問や、主張を同じくする団体が独自の追悼式を行い始めた2017年以降、小池百合子都知事は、突然「追悼の辞」を送付しなくなりました。他民族虐殺の事実を否定する姿勢の表れと言うほかありません。

 かつての日本の同盟国ドイツでは、ワイツゼッカー西独大統領が戦後40年の記念演説(1985.5)において、「後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません、しかし、過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目(ママ)となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」と述べています。日本の防災会議の報告も、「過去の反省と民族差別の解消の努力が必要」と指摘しています。
百年前に日本で起きた他民族虐殺の歴史は、その真相を究明し、国家の責任を問い、犠牲者の尊厳と名誉の回復に努め、人類の教訓の一つとして、後世に伝え、世界の人々と共有しなければなりません。今こそ日本社会が、この歴史に誠実に向き合う春秋(とき)です。二度とこうしたジェノサイドを起こさないために、多民族、多文化が、共生する社会に向けて、その第一歩を踏み出そうではありませんか。
本年8月31日(木)の追悼大会をはじめ、関連活動へのご協力、ご参加を呼びかけます。
2023年2月




  〈 韓国・朝鮮語バージョン 〉  

호소문
관동대지진 조선인, 중국인 학살 100년
일본사회는 이 역사에 성실하게 마주하고 국가의 책임을 묻고,
재발을 용서하지 않는 공생 사회를 향한 첫 걸음

관동대지진 조선인・중국인 학살 100년 희생자 추도대회 실행위원회 

1923년 9월 1일, 남 관동 일대에 7.9 강도의 대지진이 발생해, 수도권에서 사망자 10만명, 주거 소실자 200만명이 넘는, 일본 지진 재해 사상 최대의 피해를 가져왔습니다. 2일에는 ‘계엄령'이 선포되어 군대가 출동했습니다. 다음 3일 아침 “조선인은 각지역에서 방화를 하고 불령의 목적을 수행하려고… 이러한 조선인의 행동에 대하여 엄격한 단속을 하라”는 전문이 내무성 경보국장 이름으로 후나바시(船橋) 해군 송신소로부터 각 지방 장관에게 보냄으로 정부에 의한 유언비어가 확산되었습니다. 유언비어가 퍼져 군대・경찰・관헌의 주도, 그리고 자경단을 중심으로 하는 민중에 의해 많은 조선인, 중국인이 학살되었습니다. 또한 일본의 사회주의자나 노동운동 활동가나 조선인, 중국인으로 잘못 인식된 일부 민중도 학살되었습니다.
일본에서는 가까운 장래, 관동대지진급의 대지진의 발생이 예측되면서 총리 아래에 <중앙 방재 회의>가 설치되어 있습니다. 이 회의의 <재해 교훈의 계승에 관한 전문 조사회>가, 2008년 3월에 정리한 보고서에는, 다음과 같이 기록이 있습니다.
“무기를 가진 다수자가 비무장 소수자에게 폭행을 가하여 살해한 학살이라는 표현이 타당한 예가 많았다. 살상 대상이 된 것은 조선인이 가장 많았지만 중국인, 내지인도 적지 않게 피해를 당했다. 가해의 형태는 관헌에 의한 것부터 관헌이 보호하고 있는 피해자를 관헌의 저항을 배제하고 민간인이 살해한 것까지 다양하다. … 희생자의 정확한 수는 알수 없지만 지진 재해로 인한 사망자 수의 1~몇 퍼센트로 보며 인적 손실의 원인으로 가볍게 볼 수 없다”고 지적, “과거의 반성과 민족차별 해소 노력이 필요한 것을 다시 확인해 둔다”라고 하였습니다. 
일본은 그때까지 조선, 중국에 자주 군대를 보내어 침략과 식민지 지배를 추진하였으며 현지에서 조선민중과 중국민중의 강한 저항에 일본군은 저항하는 민중을 무력으로 탄압했습니다. 1919년 3월 1일 서울에서 시작된 조선의 3・1독립운동은 순식간에 조선 전역으로 퍼져 일본은 군, 경찰, 헌병, 무장한 민간인까지 동원해 탄압해, 조선인 약 7,500명이 희생되고 약 1만 5,000명이 부상을 입었고, 4만 6,000여 명이 구속되었다고 합니다. 
일본 정부는 관동 대지진으로 학살당한 사람들의 정확한 수를 조사하지 않은 채 사건을 은폐해 왔습니다. 조선인 희생자의 조사는 조선인 유학생이 중심이 되어 진행되었고, 당초의 <재일동포 피학살 진상조사회>의 명칭은 금지되었습니다. 부득이하게 <재일본 관동 지방 이재 조선 동포 위문반>이, 경찰의 시체 은닉이나 소각 등의 많은 방해 속에서도 진행되어 그 결과를 전해 받은 상해의 대한민국 임시정부・기관지 <독립신문>(1923.12.5)에서 희생자를 6,661명으로 보도하였습니다. 
임시정부는 9월 10일자로 외무대신 조소안(趙素昂)의 이름으로 일본정부에 항의문을 보내 ①불법구금된 한인의 석방, ②재해구역의 모든 한인의 이름 생사 등의 공표, ③한인을 학살한 자의 엄중처벌을 요구했습니다. 중국 정부도 일본 정부에 항의함과 동시에 왕정정(王正廷)을 단장으로 하는 조사단을 파견하여 ①가해자의 처벌, ②피해자에게 배상, ③중국인의 신변 안전을 요구했습니다. 중국인 희생자는 명부에 기록된 것만으로 750명 이상이 됩니다. 조선인・중국인 학살은 일본 국내에서 일어난 다른 민족에 대한 대량 학살(제노사이드)인 것입니다.
일본 정부는 사건을 은폐하는 일에 매달려, 예를 들면, 요미우리 신문의 중국인 살상 사건에 관한 사설(1923.11.7)부분은 삭제되어 발행되었습니다. 중국인 노동자의 생활과 권리를 위해 <교일(僑日) 공제회>를 만들고 있던 유학생 왕희천(王希天)은 군에 의해 밀살되었습니다. 1923년 11월, 외무성 조약국 제3과에서는, 다른 외국의 11가지 사례를 조사한 후, 일본의 국가 책임은 면할 수 없다고 했습니다. 키요우라 케이고(清浦圭吾) 내각은 1924년 5월 27일 중국에 '위자료 20만엔'의 지출을 결정하지만 결국 집행되지 않았습니다.
전후, 재일조선인을 중심으로, 이 학살 사건에 대해서 몇 번이나 문제가 제기되어, 그 진상 규명과 책임의 소재를 추궁하였지만, 그것에 대하여 일본 사회가 마주하는 일은 없었습니다. 2003년 8월 25일 일본 변호사연합회는 내각총리대신에게 ①조선인・중국인 학살사건의 피해자 및 유족에 대하여 국가의 책임을 인정하고 사죄할 것, ②학살사건의 진상을 조사하고 그 원인을 밝히도록 권고했습니다. 그러나 회답은 없었습니다. 1948년 12월 유엔 총회는 <세계 인권 선언>을 채택한 후 <인권의 주류화>를 목표로, 1965년에는 조약 제1호로 <인종차별 철폐조약>을 채택했습니다. 그 전문은 “국제연합이 식민지주의와 이에 따른 격리와 차별의 모든 관행을 비난해 온 것…”이라고 합니다. 
2001년 8~9월 유엔 주도로 남아프리카에서 개최된 다반 회의('인종주의, 인종차별, 외국인 배척 및 관련 불관용에 반대하는 세계회의')에서는 아파르트헤이트, 제노사이드 등, 비극의 희생자에 대한 사과와 존엄의 회복, 그리고 보상의 도의적 의무가 인정되었습니다. 
2020년 1월, 가나가와현(神奈川県) 카와사키시(川崎市) <후레아이관>에, “재일한국인을 이 세상에서 말살하자, 살아있는 자가 있으면 잔혹하게 죽이러 가자”라는 <연하엽서>가 왔습니다. 2021년 7월부터 8월에 걸쳐, 한국 민단・아이치(愛知), 나고야(名古屋) 한국 학교, 교토부(京都府) 우토로의 코리안 집단 거주 지구의 민가 등 재일 코리안과 관계있는 시설・거주지 등에 연속 방화 사건이 발생하였습니다. 차별적 동기에 근거한 범죄・헤이트 클라임(혐오범죄)이 끊이지 않습니다. 한편, 국가의 고등학교 무상화 정책에서 조선학교 제외, 지자체의 보조금 지급에서 조선학교 제외 등 공적인 차별도 계속되고 있습니다.
유엔・인종차별철폐위원회는 일본을 심사한 후 <총괄소견>(2018.9)에서 '직접 및 간접적인 인종차별을 금지하는 구체적이고 포괄적인 법률을 채택하도록' 권고하였습니다. 하지만 일본 정부는 따르지 않고 있습니다.
<관동대지진 조선인 희생자 추도식전>에, 역대의 도쿄도(東京都) 지사는 <추도사>을 보내왔습니다만, “조선인 학살의 누명으로 일본인을 욕보이는 것” 등이라고 주장하는 의회 질문이나, 그러한 주장을 같이 하는 단체가 독자적인 추도식을 실시하기 시작한 2017년 이후, 코이케 유리코(小池百合子) 도지사는 갑자기 <추도사>을 보내오지 않고 있습니다. 다른 민족 학살의 사실을 부정하는 자세라고 할 수밖에 없습니다.
과거 일본의 동맹국 독일에서는 와이츠제커 서독 대통령이 전후 40년 기념연설(1985.5)에서 “나중에 과거를 바꾸거나 없었다고 할 수 없고 과거에 눈을 감는 자는 결국 현재에도 시각을 잃게 됩니다. 비인간적인 행위를 마음에 새기려고 하지 않는 자는 또 그러한 위험에 빠지기 쉬운것입니다.” 라고 말했습니다. 일본 방재회의(防災会議) 보고도 “과거의 반성과 민족차별 해소 노력이 필요하다” 고 지적하고 있습니다.
100년 전에 일본에서 일어난 타민족 학살의 역사는 그 진상을 규명하고, 국가의 책임을 물어, 희생자의 존엄과 명예의 회복에 노력하고, 인류의 교훈의 하나로서, 후세에 전해, 세계의 사람들과 공유해야 합니다. 지금이야말로 일본 사회가, 이 역사에 성실하게 마주해야 할 때입니다. 다시 한번 이런 제노사이드를 일으키지 않기 위해서 다민족, 다문화가 공생하는 사회를 향해 그 첫걸음을 내디뎌야 하지 않겠습니까?
올해 8월31일(목)의 추도대회를 시작으로 관련 활동에 협력해 주시고 참가해 주실 것을 호소합니다.
2023년2월 


 〈 中国語バージョン 〉 

呼吁书

关东大地震下屠杀朝鲜人、中国人100周年
日本社会应直面此历史,追究国家责任,不让历史重演
向共生社会迈出第一步

关东大地震被屠杀朝鲜人、中国人100周年牺牲者追悼大会执行委员会

1923年9月1日,南关东一带发生里氏7.9级的大地震,首都圈死亡10万人,住宅被烧毁导致超过200万人无家可归,造成日本地震灾害史上最大的灾难。2日,日本发布“戒严令”,并出动军队。3日早晨,“朝鲜人在各地放火以达到不可告人的目的……对朝鲜人的行动要进行严密的管制”的电文,以内务省警保局长的名义从船桥海军发送所传达至各地长官处,政府炮制的谣言扩散。流言蜚语广为传播,在军队、警察、政府的主导下,以自警团为中心的民众对许多朝鲜人、中国人进行了屠杀。另外,日本的社会主义者和劳动运动活动家,以及被误认为朝鲜人、中国人的部分民众也惨遭屠杀。

据预测在不久的将来,日本会发生关东大地震级别的大地震,因此在总理领导下成立了“中央防灾会议”。该会议的“关于继承灾害教训专门调查会”,在2008年3月的总结报告书中,有如下内容表述:
“持有武器的多数人对非武装的少数人施以暴行,最后将其杀害,这种可用屠杀来形容的例子很多。杀伤对象中,朝鲜人最多,但中国人、内地人也不乏受害者。加害的形式多种多样,既有官府的加害,也有民间人士对官府置若罔闻,杀害受官府保护的受害者。……虽无法掌握确切的牺牲者人数,但其相当于震灾死亡人数的百分之一到百分之几,是不可轻视的人员损失原因。”并总结道:“需要再次确认的是,有必要反省过去和努力消除民族差别。”

在此之前,日本曾多次向朝鲜和中国派兵,推行侵略和殖民统治,在当地遭到朝鲜民众和中国民众的强烈抵抗。对此,日本军队采用武力予以镇压。1919年3月1日始发于首尔的朝鲜三・一独立运动瞬间扩散至朝鲜全境,日本动员军队、警察、宪兵及武装平民进行镇压,导致7500多名朝鲜人牺牲,15000多人受伤,46000多人被拘留。
日本政府在没有调查关东大地震中被屠杀的确切人数的情况下,企图隐瞒事件。朝鲜人牺牲者的调查以朝鲜留学生为中心进行,最初的“在日同胞被屠杀真相调查会”的名称被禁止,不得不以“在日本关东地方受灾朝鲜同胞慰问班”的名义,在警察藏匿和焚烧遗体等诸多妨碍下进行调查。根据该结果,上海的大韩民国临时政府机关报《独立新闻》(1923.12.5)报道称,遇难者人数为6661人。临时政府于9月10日以外务大臣赵素昂的名义向日本政府发出抗议书,要求:①释放被非法拘禁的韩国人;②公布受灾区域所有韩国人的姓名、生死状况;③严惩残杀韩国人者。中国政府在向日本政府提出抗议的同时,派遣了以王正廷为团长的调查团,提出了以下要求: ①处罚加害者;②赔偿受害者;③保障中国人的人身安全。中国牺牲者,仅名单有记录的就达750人以上。虐杀朝鲜人、中国人是发生在日本国内的种族大屠杀。

日本政府为了掩盖事件,例如《读卖新闻》关于中国人被杀事件的社论(23.11.7)被删减后发行。为了华工的生活和权利而创立“侨日共济会”的留学生王希天,被军队秘密杀害。1923年11月,外务省条约局第三课调查了各国的11个案例,认为日本负有不可推卸的国家责任。1924年5月27日,清浦圭吾内阁决定向中国支付“赔偿金20万日元”,但该赔偿金并未得到执行。
战后,以在日朝鲜人为中心,多次提出该虐杀事件问题,要求查明真相,追究责任,但并未得到日本社会的正视。2003年8月25日,日本律师联合会劝告内阁总理大臣:①向朝鲜人、中国人屠杀事件的受害者、遗属,承认国家责任并谢罪;②调查屠杀事件的真相,查明原因。但未得到答复。1948年12月,联合国大会通过了《世界人权宣言》,之后以“人权主流化”为目标,1965年作为第一号公约通过了《消除种族歧视公约》。其前言中写道:“联合国始终谴责殖民主义以及由此产生的种族隔离和歧视的所有行为……”。2001年8 - 9月由联合国主导,在南非召开的德班会议(“反对种族主义、种族歧视、排斥外国人和相关不宽容的世界会议”)上,向种族隔离、种族灭绝等悲剧的受害者道歉。承认恢复尊严和补偿的道义义务。

2020年1月,神奈川县“川崎市交流互动馆”收到了“将在日韩国人从这个世界上抹杀,如果还有幸存者就残酷地杀了他们”的贺年卡。2021年7月至8月,韩国民团・爱知、名古屋韩国学校、京都府宇都罗的韩国人聚居区的民宅等在日韩国人的相关设施、住宅等发生连续纵火案。基于歧视性、仇恨的犯罪层出不穷。另一方面,国家层面的高中免费化及自治体层面的补助金支付均将朝鲜学校排除在外,像这样的“官方的差别对待”也在持续。联合国种族歧视消除委员会,在日本审查后出具的“总结意见”(2018.9)中,劝告“采纳禁止直接和间接的种族歧视的具体的、概括性的法律”,但是日本政府没有回应。
在“关东大地震朝鲜人牺牲者追悼仪式”上,历届东京都知事都会奉上“追悼辞”。但在都议会上提出“屠杀朝鲜人是冤枉的,是对日本人的污辱”等主张,并在议会上提出质询,而主张相同的团体独自举行追悼仪式的2017年之后,都知事小池百合子突然不再奉上“追悼辞”,只能说这是对其它民族屠杀事实持否定态度。

日本过去的同盟国德国,西德总统魏茨泽克在战后40周年纪念演讲(1985.5)中说:“事后不能改变过去,也不能当作没有发生过。但对过去视而不见者,也终将成为现实的盲者。那些不把非人道的行为铭记在心的人,也很容易陷入这种危险之中。” 日本防灾会议的报告也指出“有必要反省过去,并努力消除民族歧视”。
对于百年前在日本发生的屠杀其他民族的历史,必须查明真相,追究国家责任,努力恢复受害者的尊严和荣誉,作为人类的教训之一,流传后世,与世界人民共有。现今正是日本社会需要正视这段历史之际。为了不再发生类似的种族灭绝事件,我们应该面向多民族、多文化的共生社会迈出坚实的第一步。

今年8月31日(星期四)的追悼大会,以及其他相关活动,请大家协同参与。
2023年2月




 〈 英語バージョン 〉 

Call to Action
A century has passed since the massacre of Koreans and Chinese 
during the Great Kanto Earthquake in Japan. 
Japanese society must confront this history honestly, 
demand accountability from the government, 
and take the first step towards a society of coexistence 
that will not allow such a tragedy to happen again.

The Executive Committee for the 100th Anniversary Memorial Ceremony
of the Great Kanto Earthquake Massacre of Koreans and Chinese.


On September 1, 1923, the Great Kanto Earthquake with a magnitude of 7.9 struck the entire southern Kanto region, causing the most significant damage in Japanese history, with over 100,000 deaths and 2 million people losing their homes to fire in the metropolitan area. On September 2, martial law was declared, and the army was mobilized. On the following morning of September 3, a telegram in the name of the top of the Interior Ministry Police Bureau Security Division was sent from the Funabashi Navy Telegraph Station to each local municipal head, stating that "Koreans are setting fires everywhere to accomplish their wicked purposes... Strict measures should be taken against the Koreans' actions" - the government spreading harmful rumors. Under the initiative of the military, police, and government authorities, as well as by people such as vigilantes, a great many Koreans and Chinese were massacred. In addition, Japanese socialists and labor movement activists, as well as people mistaken for Koreans and Chinese, were also killed.

In Japan, a major earthquake similar to the Great Kanto Earthquake is predicted to occur in the near future, and a Central Disaster Management Council has been established under the Prime Minister, . The Council's Special Investigative Committee on Passing on Disaster Lessons states as follows in its March 2008 report:
"There were many cases where a large number of people with weapons attacked and killed a small number of unarmed individuals, which can be described as a massacre. Koreans were most frequently targeted, but many Chinese and Japanese were also attacked. The forms of attacks varied, from those carried out by government officials to those where civilians killed victims who were being protected by government officials. . . . The exact number of victims is unknown, but it ranges from 1 to several percent of the total number of deaths caused by the earthquake, and cannot be ignored as a cause of human losses." The report concluded that "it is necessary to reconfirm the need for reflection on the past and efforts to eliminate racial discrimination."

Before this earthquake, Japan had frequently sent troops to Korea and China, forcing its invasion and colonial rule, and faced strong resistance from the Korean and Chinese people on the ground. The Japanese military suppressed the protesting civilians by force. The March 1st Independence Movement, which began in Seoul in 1919, quickly spread throughout Korea. Japan mobilized its military, police, military police, and armed civilians to suppress this movement. It is said that about 7,500 Koreans were killed, 15,000 injured, and more than 46,000 detained. The Japanese government has been trying to cover up the incident without investigating the exact number of people who were massacred in the Great Kanto Earthquake. Investigation of the Korean victims was led by Korean students studying in Japan. The original name of the "Investigation Committee for the Truth of the Massacre of Koreans in Japan" was banned, so it had to be carried out under the name of the "Condolence Team for Fellow Korean Victims in the Kanto Region in Japan" amidst many hindrances such as hiding or even incineration of bodies of victims by the police. As a result, the official newspaper of the Provisional Government of the Republic of Korea in Shanghai, "Independence News" (December 5, 1923), reported that 6,661 people were killed.
On September 10, the Provisional Government sent a protest letter to the Japanese government under the name of Foreign Minister Jo So-ang, demanding (1) the release of illegally detained Koreans, (2) the disclosure of the names and life or death of all Koreans in the disaster-stricken area, and (3) the severe punishment of those who massacred Koreans. The Chinese government also protested to the Japanese government, dispatched an investigative team led by Chengting T. Wang, and demanded (1) the punishment of the perpetrators, (2) compensation for the victims, and (3) the safety of the Chinese people. The number of Chinese victims is estimated to be more than 750, as recorded in the register. The massacre of Koreans and Chinese must be recognized as a genocide that took place in Japan.

The Japanese government proceeded to cover up the incident. For example, an editorial on the killing of Chinese people in the "Yomiuri Shimbun" (November 7, 1923) was cut out before the paper’s publication. Wang Xitian, an exchange student who had set up the Overseas Chinese Mutual Aid Association for the life and rights of Chinese laborers, was assassinated by the military. In November 1923, the Third Division of the Treaty Bureau of the Ministry of Foreign Affairs investigated 11 cases in other countries and concluded that Japan could not escape its state responsibility. The Kiyoura Keigo Cabinet decided to pay China "200,000 yen as consolation money" on May 27, 1924, but this was not executed.

After the war, the massacre was repeatedly raised by Korean residents in Japan, and the truth and responsibility were questioned, but Japanese society did not face it. On August 25, 2003, the Japan Federation of Bar Associations recommended that (1) the Prime Minister acknowledge state responsibility and apologize to the victims and bereaved families of the massacres of Korean and Chinese people, and (2) investigate the truth of the massacres and clarify their causes. However, there is no answer. In December 1948, the United Nations General Assembly adopted the Universal Declaration of Human Rights and aimed to promote the mainstreaming of human rights. In 1965, the Convention on the Elimination of All Forms of Racial Discrimination was adopted as the first treaty. Its preamble states that "the United Nations has condemned colonialism and all practices of segregation and discrimination associated therewith, in whatever form and wherever they exist . . . ." From August to September 2001, the Durban Conference (World Conference against Racism, Racial Discrimination, Xenophobia, and Related Intolerance) was held in South Africa under the leadership of the United Nations, and it recognized the moral obligation to apologize, restore dignity, and provide compensation to victims of tragedies such as apartheid and genocide.

In January 2020, a "New Year's card" arrived at the Kawasaki City Fureai Center in Kanagawa Prefecture, stating, "Let's eradicate Korean residents in Japan from this world. If there are any survivors, let's go and kill them brutally." From July to August 2021, a series of arson attacks occurred at facilities and residences related to Zainichi Korean residents in Japan, such as the Korean Residents Union in Aichi, the Nagoya Korean School, and the Zainichi residential area in Utoro, Kyoto. Discriminatory crimes and hate crimes continue to occur. On the other hand, "public discrimination" continues, such as the exclusion of Korean ethnic schools from national-level high school tuition-free programs and municipal-level subsidy payments.
In its concluding observations after Japan's review in September 2018, the United Nations Committee on the Elimination of Racial Discrimination recommended that Japan adopt "specific and comprehensive legislation prohibiting direct and indirect racial discrimination," but the Japanese government has not responded.
Successive Tokyo governors had sent words of condolence to the annual "Memorial Ceremony for the Korean victims of the Great Kanto Earthquake." After 2017, however, Governor Koike Yuriko suddenly stopped sending such condolences when a Tokyo Metropolitan Assembly member asked a question claiming that "the Korean massacre was a false charge that dishonors the Japanese people," and groups that share the same claims began holding their own services. There attitude is nothing but the denial of the fact of genocide of people of different ethnic groups.

In Japan's former ally Germany, the President of West Germany Weizsäcker gave a commemorative speech in May 1985, marking 40 years since the end of World War II, stating that the past "cannot be subsequently modified or made undone. However, anyone who closes his eyes to the past is blind to the present. Whoever refuses to remember the inhumanity is prone to new risks of infection." The report from Japan's disaster management council also points out that "efforts to reflect on the past and eliminate ethnic discrimination are necessary."
The history of the genocide of other ethnic groups in Japan a hundred years ago must be thoroughly investigated, the responsibility of the state must be questioned, and efforts must be made to restore the dignity and honor of the victims. Furthermore, this history must be passed down to future generations as one of humanity's lessons, and shared with people around the world. Now is the time for Japanese society to face this history honestly. Let us take the first step towards a society where multiple ethnicities and cultures coexist, so that such genocide will never happen again.

We call for your cooperation and participation in related activities, including the memorial service on August 31 (Thursday) this year.

February 2023



【呼びかけ文】
日本語版/韓国・朝鮮語版/中国語版/英語版